16 10月

「愛あるビジョンを求める小さき者たちよ」

誰もが暗い話を聞いて、未来が明るいとは考えない。昨日、ある方から22時頃メールが入った。ちょうど私が眠剤を自分にそえて眠る準備をしていた時である。
ある場所で、ある大切な会議している。その報告を感じたまま私に伝えてくれた。
「今、ちょうど自宅に帰宅したところです。明るいビジョンは全くなく暗い話ばかりです。疲れます。また今度会った時には、牧師任(モクサニム)(韓国語/日本語で牧師様)とは、先の明るい未来の話ができると思います。どうせ、疲れるならその方がいいですね。簡単なお知らせでした。」との内容であった。
「明るいビジョンは全くなく暗い話ばかり」
彼と同じように私は預言者でないが、彼の報告してくれた会議に、混沌から創造された神のイメージの中にあるこれからの世代につながる新しいビジョンがうまれてくるように、沈黙する神に祈りたい。
私の心は、その反面、彼のシンプルな報告を聞いてよろこんでいた。未来に、明るい将来につながる疲れがあることを伝えてくれたからである。
彼は…求めている。求めている人達がいることを決して忘れない。疲れは残れど、質の違う疲れが彼をあたたかく包み、癒してくれることを祈り、眠りについた。
山上の垂訓にある言葉=「求めよ さらば 与えられん(Ask,and it wii be given to you)」
求める内容に不平等があってはならない。それは、何人にも平等に与えられていることを意味する。
愛あるビジョンを求める人達が、この世では小さき者かもしれないが、私の終生かけて取り組むテーマとなる。感謝。